日本の稲作は、治水と開発の歴史でもありました。かつては大雨や台風による河川の氾濫もざらで、あちこちに自然の湿地が生まれていました。治水が進むと氾濫原は水田に姿を変えましたが、その水田がため池や水路とともに、湿地のいきものたちの新たな暮らしの場になっていたのです。
ところが今、平野部の環境は開発や農業の近代化によって厳しくなり、比較的良好な環境が残る中山間の里山にも高齢化や耕作放棄の波が及んでいます。
田んぼがつなぐ水辺のネットワーク

日本の水田の総面積は、湖沼や河川を合わせた自然の水面面積の1.5倍以上にものぼります。田んぼは単なる農地ではなく、国土の中でもっとも広い「浅い水辺」です。そしてこの水辺は、田んぼだけで完結しているわけではありません。山あいの水源からため池へ、ため池から水路へ、水路から田んぼへ。水の流れに沿って、さまざまな環境がひとつながりになっています。
このつながりが、いきものの暮らしを支えています。たとえばドジョウは、田んぼに水が入る頃になると水路を遡って田んぼに入り、卵を産みます。やがて育った稚魚は、水が抜かれると水路へ移動して越冬する。ひとつの種が生活史のなかで、複数の水辺を行き来しているのです。
こうした農村の代表的景観が「里山」です。田んぼに水路、ため池に雑木林等から構成され、人が手入れをすることで維持してきました。環境省によれば、里地里山には、絶滅のおそれがある昆虫類・淡水魚類・両生類の約7割の種が生息していると推定され、生物多様性の場としても重要な存在と評価されています。
※特定第二種国内希少野生動植物種制度の概要について(環境省)
ところが高度経済成長期以降、この水辺のネットワークは急速に損なわれていきます。
平野部の水辺で起きたこと
今では信じられませんが、日本最大の水生昆虫タガメは、1950年代までは都市近郊の田んぼやため池でもふつうに見られました。それが1980年頃までに、平野部の水辺からほぼ姿を消しています。
タガメだけではありません。浅い水辺に暮らしていた水生昆虫や淡水魚の多くが、同じ時期に急速に数を減らしています。その背景には、大きく三つの変化が重なっていました。
農業の近代化
昔の稲作では、作業の多くが手作業で、農薬も使っていませんでした。水路は土を掘っただけの素掘りで、冬も水が残る。つまり昔の田んぼは、意図したものではないにせよ、いきものが暮らせる湿地でもあったのです。
戦後、コメの増産を目指して大規模な圃場整備が進みました。泥田を乾かして機械が入れるようにし、素掘りの水路をコンクリートに替え、農薬で害虫を管理する。必要なときだけ水を入れる乾田化によって、中干しや冬に水が抜かれるようになると、水辺に暮らすいきものは大きくその数を減らしました。

開発による生息地の消滅
農業の近代化が水辺の「質」を変えたのに対し、開発は水辺そのものを地図から消しました。日本の水田面積は1960年代から2000年代にかけて約24%が失われています。
高度経済成長期には都市近郊の田んぼやため池が宅地に変わり、バブル期にはゴルフ場の造成が丘陵地の池沼を潰し、近年は太陽光発電施設が里地里山にまで及んでいます。

外来種の定着
残った水辺にも外来種の脅威が迫っています。アメリカザリガニ、ウシガエル、コイ、ブラックバスなどです。
特にアメリカザリガニは、侵入すると水生昆虫の種類・個体数が激減する上、外来魚と違ってかいぼりでも根絶できない難敵です。希少種がいる場所では、継続的に捕獲圧をかけ低密度状態を保つ努力がされていますが、そうでない多くの場所では、人知れず生息地が壊滅しました。
農業の近代化、開発、外来種。これらが重なり合い、平野部の水辺はいきものたちにとって暮らしにくくなっています。では、平野部から姿を消したいきものたちは、今どこで暮らしているのでしょうか。
中山間地の水辺が持つ意味

丘陵地や山あいの谷に広がる中山間地には、ため池や湧き水を水源とする小さな水辺が点在しています。大きな河川の水系とはつながらない、独立した水の流れ。この地形と水系の特徴が、平野部では失われてしまった良好な環境を残す条件になっています。
こうした丘陵地の谷あいを東日本では谷津・谷戸、そこに広がる田んぼを谷津田・谷戸田と呼称したりします。谷津田には、平野部より農薬の影響を受けにくいという大きな特徴があります。谷津ごとに水源や地形が独立していて、他の場所で使った農薬が流れ込まないからです。
外来種が入り込みにくいことも大きな強みです。実際、アメリカザリガニがまだ侵入していない地域も残されていて、そうした場所では在来種たちが命をつないでいます。
さらに、傾斜地で小さな区画が多い中山間地では、圃場整備が進みにくかったことから、素掘りの水路や昔ながらのため池がそのまま使われ続けています。
こうして、平野部の生息地を失ったいきものたちが、中山間地の水辺に残る結果となりました。
里山という砦を守る人がいなくなる

ところが、中山間地の里山では、耕作放棄が加速度的に進んでいます。山間農業地域の耕作放棄地率は平地の倍近くに達しています。2045年には山間農業地域の人口が2015年の半分以下になるという推計もあり、この流れが止まる見通しはありません。
※令和6年度 食料・農業・農村白書(農林水産省)
耕作放棄が管理放棄に進むと、何が起きるか。まず田んぼに水が引かれなくなります。水のない田んぼには草が生え、数年で藪に変わる。水路の泥上げをする人がいなくなれば、土砂が詰まって水が流れなくなります。ため池も手入れが途絶えると周囲から草木が覆いかぶさり、水面が縮小していく。
里山の水辺は人の営みとともにあります。人がいなくなれば、里山の水辺は消え、水辺のいきものも消える。これが里山に迫る危機なのです。
里山の維持管理を続けるために
治水が進み新たな湿地が生まれない現代では、農村の水辺がいきものの暮らしの場になっています。その水辺が平野部では近代化や開発で多くが失われ、残された生息地は中山間地の里山に限られつつあります。しかしその砦を支えてきた農家も、高齢化によって減り続けている。農業従事者の平均年齢は67歳を超えています。農家だけに里山の維持管理を頼り続けることはできません。
水辺の環境を守りたいなら、農家以外にも多様な担い手が必要です。私たちは福島の中山間地域で、ため池の手入れや休耕田ビオトープの整備といった里山の維持管理活動を行っています。
かつて農家が当たり前にやっていた作業を引き継ぎ、水辺のネットワークを保つこと。手遅れになる前に悪化した生息環境を維持保全すること。これが我々のNPOの活動目的の一つです。
